はじめまして。又木と申します。
weaveで新しく連載『あいの風にのせて』を書かせていただくことになりました。
能登在住で、趣味の写真を通して能登の風景などを発信しています。
連載では季節ごとの能登の暮らし(自然、風景や食など)を、地域に根付いた方言に注目して紹介していきます。
言葉はその土地に住む人々や地域社会の歴史に積み重ねられた生活文化。
僕が切り撮った能登の風景とそれにまつわる方言や暮らしの様子をお楽しみください!
【3月の方言”あいの風”】
4月に入ってしまいましたが、今回ご紹介するのは3月の言葉、”あいの風”について。
”あいの風”とは
北陸の日本海に面した地域で使われている言葉で、春頃から夏にかけて吹く東風のこと。
ところによって”あえの風”や”あゆの風”と呼ぶこともあります。
【あいの風は春の訪れ】
僕の住む能登町では、あいの風は北東(佐渡の方向)から吹きます。
厳しい冬が過ぎた春先にこの風が吹きますが、まだまだ寒く海も荒れている時期。
あいの風と聞けば、どこかしら爽やかな優しいそよ風のような印象を受けがちですが、実は海を荒らす荒々しい風なのです。
能登の地域の中には、「あいの風に乗って神様がいらっしゃるから、祭りの日には必ずこの風が吹く」と伝えられる場所もあり、めでたい風でもあります。
【夏の季語と春の季語としての”東風”】
そもそも”あいの風と言う言葉は知っているけど、どういった経緯で生まれてきた言葉なのでしょうか。
調べてみると、万葉集や俳句などで昔から詠まれ地域に根付いた言葉としてありました。
例えば、万葉集の中では大伴家持が詠んでおり、
『(東風)あゆのかぜ いたく吹くらし 奈呉の海人の 釣する小舟 漕ぎ隠る見ゆ』
「東風が強く吹いているらしい。釣りをする小舟が波間に見え隠れしているのが見える」という意味です。*「あゆ」は古語で東風を意味します。
奈呉の海は今でいう富山県新湊の海のこと。当時からこの地域特有の気候とその中で漁をしている海女さんの暮らしの風景が目に浮かびます。
僕の育った集落も目の前に海が広がっているのですが、春先の沖合を漁船が激しい波に揺られながら進んでいく様子など見たことがあったなぁと思い出されます。
また、東風と書いて”こち”と読むこともあるようです。
僕の地元の集落のお祭りで唄われる唄に、
『東風(こち)ふかば にほひ起こせよ梅の花 主なしとて春を忘るなよ』
という唄があります。
これは菅原道真が京都から太宰府に左遷される時に詠んだ唄で、
「春風が吹いたら、匂いを(京から太宰府まで)送っておくれ、梅の花よ。主人(菅原道真)がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。」という意味のようです。
ここでの東風(こち)は春を告げる風を意味しています。
歳時記では「あいの風」は夏の季語。「こち」は春の季語となっているようですが、読み方が違うだけで、言葉の意味合いも変わってくるのは方言や日本語特有の奥深さではないでしょうか。
【タイトルに込めた思い】
今回タイトル名を方言に注目して『あいの風にのせて』とした理由に、”自分自身が地域に根付く言葉を知らないと思った”ことがあります。写真を撮る中で、視覚としての情報と違った、それらの持つ背景や歴史、暮らしの中でどのように関わってきたのかに興味を持つようになりました。
僕の住む能登地域には、深刻な問題として少子高齢化や過疎化があります。
長い歴史の中で生まれてきた文化や風景が少しずつ失われようとしています。
写真を撮る目的の1つはそうした”暮らしの風景を切り撮ること”にありますが、地域に根付いてきた言葉に注目することはなかなかありませんでした。
また広い目線で見れば、デジタル化やマスメディアの普及による方言離れが進み、社会に溢れる外来語。その中で地域に根付く”あいの風”といった言葉が持つ季節感もいつかは失われてしまうのではないでしょうか。
実際僕もこうして調べる前まで、あいの風は春に吹くそよ風のような優しい風と思っていましたし、東風に”あい”や”こち”といった読み方があり、それによって春か夏の季語としての意味合いが変わってくることは知りもしませんでした。
でもだからこそ、方言を通して自分たちの地域の生活や交流を見つめることが、価値観が多様化し変化していく社会の中で大切なことなのかもしれません。
今回連載のお話をいただいて思ったことがあります。
それは、せっかく文章を書くなら
”地域に根付く言葉や方言に注目して、微力ながらも写真と一緒に伝えていきたい”。
それが『あいの風にのせて』に込めた思いです。
皆さんの住む地域にはどのような季節の言葉がありますか。
身近なところから方言を見直してみるのもいいかもしれません。
少しでも考えるきっかけになれば嬉しいです。
文・写真:又木実信