大土町を取り上げる上で、やはり棚田は欠かせません。山にすっぽりと囲まれた田んぼの枚数は30枚と規模は小さいですが、その堂々とした風景はまさに日本の原風景とも言えます。同じ石川県内の北部、能登半島には海に面した斜面にそそり立つ『輪島の千枚田』が有名ですが、こちらは言うなれば『大土の三十枚田』でしょうか。
金沢に暮らしながら平日は大学に、週末は加賀市の大土町に通っている“ましろ”が、大土で体験する貴重な暮らしをお届けする連載です。山中温泉最奥の地にある大土町の暮らしや季節の営みを、外から目線で切り取ってお伝えしていきます。
(自己紹介や大土町について詳しくはこちらの記事をご覧くださいませ)
今から約100年近く前、40以上もの世帯が大土町で暮らしていた頃、この集落の住民たちは山を切り開き、石垣を詰んで田んぼを開拓していきました。
今でも山を登ると棚田の跡である石垣の遺構があちこちに見られ、中には集落から30分以上山道を登ったところにあるものも。
集落から遠く離れたところで石垣の残骸を見つけるたびに、先人たちの苦労の大きさを計り知ることができ、その努力に頭が下がるばかりです。
集落内の棚田も、耕作放棄されて山に飲み込まれかけていたところを、ひとつひとつ人の手で復活させたのだそうです。集落を見下ろす高台に立つと、「ここでの米作りは『食料を生産する』という意味だけでなく『集落の景観の維持』という意味でも大きな意味を持っているのだ」と感じます。
毎年5月のゴールデンウィークの時期になれば、田植えが始まります。
大土の小さな棚田には農業用の大型機械が入れないため、事前に土壌を整えるところから、苗の植え付け、草取り、稲刈りはもちろん、収穫した稲を束にして稲架(はさ)に干す作業や脱穀に至るまで、機械に頼らずすべて手作業で行います。
そのため、集落唯一の住民である二枚田昇さんだけでなく、弟の外治さんもほぼ毎日駆けつけるほか、国内外から若者を始めとしたたくさんのボランティアもやってきて、みんなで懸命に作業を進めます。
私も2年前の春に、初めて田植えをお手伝いしました。
田んぼの中には絶滅危惧種にも指定されているアカハライモリや、小さな魚・虫、カニなど、たくさんの生き物がいるのを見て、ここまで間近に生物の多様性を感じることは日常生活ではほとんどなかったためとても驚き、自然の偉大さや大土という土地の豊かさを実感したことをよく覚えています。
そして実際に体を動かす中で、田植え作業は『植える』という作業が目立つものの、それよりも前の田んぼを植える状態に土壌を整備する作業のほうが、力や根気が必要なんだとも知りました。
長靴を履いて水田の中を動くと足を取られ、抜け出せなくなってしまうこともしばしば。
そういうときは、かかとからゆっくりと足をあげれば大丈夫。慌てないことが肝心。と自分に言い聞かせながらも何度もよろけて転びそうになり、最後には泥だらけになることも。
こうして手植えをしたあと、苗を育てるのは田んぼに流れ込む豊富な湧き水。
大土名物の『大土生水』という、年間を通して14-15℃ほどの水温を保つ湧水で、豊かな里山の地中を巡って湧き出るからか、週末になると街から汲みに来る人もいるほどの美味しさです。
水温が平地に比べて低いため、寒さに負けないようにここでの植え付けは一度に10本ほどと、平地の3倍ほど多めに植えていきます。
大土町産のお米に他のお米とは比較できないほど強い旨味があるのは、このお水や涼しい山の環境が影響しているからだと考えられています。
田んぼ作業をしていると、日々の営みとして日常的に田んぼ作業をすることで、大自然の中に程よく無理なく人の手が加わり、美しい景観や里山の豊かな資源が守られているのだと、お山の空気をお腹いっぱい吸い込みながら改めて考えさせられました。