こんにちは。 あたらしくこの weave で連載『ましろの、100年先まで残したい暮らし』を書いていくことになりました“ましろ”です。普段は金沢に住みながら大学に通い、『地域』をテーマにまちづくりやコミュニティデザイン、観光、文化などについて学んでいます。
大土町には、大学1年生の秋にボランティアとして関わり始め、今では1〜2週間に1回のペースでこの小さな集落を訪れて、農業やボランティアプログラムの運営などのお手伝いをしています。
そんなわたしが、外から目線で切り取った大土町の暮らしや季節の営みを、月に1回くらいのペースでお伝えしていきます。
「大土町」って?
石川県加賀市の市街地から、車でおよそ30分。山中温泉最奥の地にあります。
大土町を含む周辺4つの町を『東谷地区』といいます。
この東谷地区は赤瓦に煙出しの屋根がある独特な集落景観を持ち、平成23年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
大土町には耕作放棄地を再生した30枚の棚田があるため、他の3地区とは異なった、まるで日本昔ばなしから飛び出したような風景を望めます。
そんな大土町、かつては製炭業で栄えたものの時代の流れと共に著しく過疎化が進み、現在の定住人口は集落で生まれ育った「のぼさん」こと、二枚田昇さんわずかひとり。
ですが、国際ボランティアNPO団体 NICE*の受け入れを積極的に行っており、地元石川県だけでなく国内外からたくさんの交流人口が創出される土地でもあります。
芽吹きの季節
長く厳しい冬が終わり、多くの草木が芽吹き始める春。
集落の裏手の山は、中腹ほどまでは林業のために植林されたスギの木などの針葉樹林が、その上部から山頂までは青々としたブナやケヤキなどの照葉樹の原生林が広がっています。
春はその色合いの違いが際立ち、ひときわ山が美しく見える時期です。
照葉樹は根が深く水を多く溜め込むことができるため、産地上部では雪崩防止のため禁伐地域として継承されてきました。
そのため、大土町の周辺住民からは『斧入らずの森』とも呼ばれています。
そんな里山の恵みといえば、コゴミやフキノトウ、ゼンマイといった山菜たち。
山の中でも、地域の方しか立ち入れないような奥地で収穫した山菜は、天ぷらや煮付けなどで食されるほかに、天日に干されたり塩蔵されたりと保存食としても活用されます。
こういった山菜採集は、春の恵みをいただく里山の暮らし方のひとつ。
わたしもこのゼンマイ採りに同行させていただきました。
何kmも藪が生い茂る路。わたしにとっては荒れ地にしか見えませんが、「道がある」とずんずん進む二枚田さんの背中を追って約 1 時間。
道中にはかつてこの集落の主産業とされた炭焼き窯の跡地も見つけました。
「ここは集落からかなり離れてるけど、昔はばあちゃんらがここから25kg位ある炭を背負って、一日に 2 往復して家の方に持って帰ったんやで」
歩いてやってきただけでもクタクタな私は、かつての住民たちの生業に圧倒されるばかり。
炭焼が主産業として成り立たなくなって数十年がたった今、その炭焼き窯あとは幻想的な雰囲気を醸し出す、遺産のようにも見えました。
藪をかき分け、小川沿いで小休止を挟んでから更に数十メートルの斜面を登っていきます。
登りながらも目を凝らし、見つけたゼンマイを収穫。 4 〜 5 本がひとかたまりになって生えています。
「全部採ってもたら来年からは細くなってしまう。やから全部やなくて 2 〜 3 本採って残りはそっと残しておくのよ」と、二枚田さん。
なるほど、欲を張ると来年の自分に返ってくるのか。
二枚田さんや、集落に住んでこそいないものの頻繁に通う地域の住民たちは知っているこのルール。もはやそんなルールは体に染み込んでいる彼らがいるからこそ、地域の営みは細々とではあるもののしっかりと紡がれているのだと感じます。
もしかしたら、こうした『言語化されない決まり』を受け継ぎ、守るという営みは、この日本の中でも数少ないのかもしれません。
日本中の、様々な集落で同じような知恵の伝承が必要なのかもしれないとも考えた一日でした。
背負子いっぱいのゼンマイを採り終えて下山します。収穫した日のうちにすべて湯がき、囲炉裏の灰をまぶして天日干し。
天日に干す際は、半時間ごとに丁寧にもみほぐすことで水で戻しても柔らかく、美味しいゼンマイに仕上がります。
今では食材さえもが家にいながらインターネット経由で買えてしまいますが、こうした地域の営みを知ることこそが、食材の本当の価値を味わうことなのかもしれません。
*国際ボランティアNPO NICE
世界90カ国以上で約3,000のワークキャンプ(合宿型のボランティア)を開催するボランティア団体。大土町では2013年から定期的に受け入れを行い、国内外から年間100名以上の参加者が訪れる。